言葉がたくさんある価値について考える(新企画も進行中)
授業中にこんな発言がありました。
『その言葉ってある必要あるの?』と。
今でも胸に突き刺さっている発言です。
授業で普段使いはしないような言葉の意味を教えた時のことです。
使わない言葉に意味があるのか、という疑問だったのでしょう。
その質問対して、私は意味は絶対あると答えました。
現象に名前が付くから人はそのものを理解ができる、とか。
不要を切り捨てることを良しとしてはいけない、とか。
もちろんそういう面もあるのですが。
微妙に意味が違うけど似た意味を表現する言葉(いわゆる類義語)の学習をする時にも同じような質問をたまに受けていたので、まずそのことが頭に浮かびまして。
7種類の色鉛筆で描くことよりも、14種類の色鉛筆で描くときのほうがより自分の思い描く形に近づけることができるように。
言葉にも似た色味のものがあったほうが、より自分の思った通りに思いが伝えられるんだよ…と。
普段は使わないかもしれないけど、誰かが使ったときにわかってあげられるように覚えておいてくれるとうれしいな。
……なんて話をしました。
言葉を使って、文章を書くというのは私たちは当たり前のようにやっていますが非常に高度でかつ博打のようなことをしていると思います。
自分がわかっても、相手にそのまま伝わるかはわからない。
そこの差を埋めて発信でも受信でも大活躍するのが「語彙力」なのですが、発信の練習はあまり世にないのかもしれないと思い至りました。
そこで子どもたちと話しながら「文章を書く練習する時間」を設けてみようかという流れになっています。
良し悪しというよりは、どう工夫したらもっと伝わりやすい文章にできるのか。
読解の時にも作者側に立つ視点があれば役にも立つでしょう。
二人三脚でそんなことを始めてみようかと思っています。
詳しくは後日、またお話ができればと。
梅雨寒の日が続いておりますが、体調など崩さずに過ごせることを祈っています。
子どもたちは油断しておなか出したままで寝ないように。